鏡花水月

キョウカスイゲツ

夏空の雲(二)

8月9日

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戦争中に青壮年期を送った、いわゆる戦中派とよばれる人びとは、私の知る限り、戦争について語りたがらない傾向がある。誰しも大なり小なり、いやな思いをしたらかであろう。自分の戦争体験について語ることによって、いやな思い出を心の奥底からわざわざほじくりだしたくないのは当然である。戦争とは、ことに戦中派の心の基底部に、それほど深く食い込んでいるできごとなのである。(学問の冒険)

 

私の祖父は、上記の河合雅雄氏の引用にあるような戦中派の人間だった。徴兵され、終戦後に帰還した時には、写真で見る限り、体重は20Kg近くは落ちており、別人のように痩せ細っていた。東京に構えた家は空襲で焼かれ、妻と幼い子ども達は地方へ疎開していた。戦時中、一時帰宅を許された祖父は、疎開先の家族の元へ急ぐ傍ら、食料となるものを持ち帰りたく思い、方々の農家をあたった。しかし、どこも物資は無く困窮しており、どの農家からも断られ祖父は憔悴していた。疲労困憊する祖父に、一件の農家の主人が、断りかけた家人を制しこのように呼びかけた、「持たせておやんなさい。兵隊さんなんだから」。
そして祖父はワーンと声をあげて泣いた。祖父から聴いた少ない戦争のエピソードの中で、この話は数回繰り返し聞いたが、いつも農家の主人の言葉を思い出すと大泣きするのだった。普段はいつも機嫌良くしていて剽軽な祖父は、よく遊び相手になってくれた。殆ど小言らしいことも言わず、怒られた記憶は皆無だが、その眼の奥にある光は深く重かった。言葉は少なかったが、その眼差しは雄弁だった。


そんな祖父から、もっと戦時中の話を聴きたいと思ったが、祖父の意志がない以上それを尊重すべきと思った。気弱なところは一切見せず、いつも気丈に、そして明るく振る舞い続けた祖父を、この世界を去った後も尊敬している。

 

戦争という深く癒えることの無い傷に、不用意に触れるということはできない。語るものはなく、語りたくもないという意志も理解できる。それでも戦争を知らない世代は、同胞としてその痛みを知り分かち合いたいと思う。そしてその痛みを未来への希望へと繋げられたらと思う。それは謂わば故人の遺志ともいうべきものでもある。

 

戦争中に何が起こり、それを個人がどのように判断し、苦境の最中から身を起こしていったのかを知りたいと思っていた。以前長崎を旅行した際知ることとなった永井隆氏の著書から「歯車」と題された文章を抜粋する。


歯車

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工場の焼け跡にちらばっている歯車みたいだね君は。水雷の部分品らしいが、今は何の役にもたたぬものとみえて、ばらばらに投げ出され、ただ雨露にさびゆくばかり。全体がばらばらになると同時に、みずからも無力となってしまったんだね。全体主義国家が崩壊し、その窮屈な統御から解放されて、君は自由を得たはずだったが、君は自由にそこにねころんだまま、一人で立ち上がるすべも知らず、激しい時代の風雨にいたずらにさびゆくのではないかい?

 

君は全体主義の犠牲者だねえ。令状一本で特攻隊に呼びつけられ、好むと好まざるとにかかわらず一つの型に切られ、全体の機構の一部分で何もわからずにくるくると回されていたんだなあ。おまけに幼年学校派哲学の「無我」を吹き込まれてさ。無我というのは我を無くすことだ。まず我を発見し、我を完成し、この大いなる我をふたたび無くすのが無我の本道だ。ところが幼年学校出の指導者は、我の発見以前に無我を主張したんだよ。つまり、我をなくすのじゃなくて最初から我を無視した。言いかえると、てんで我がないのだ。個人の価値が無視されたのさ。兵隊は一銭五厘の葉書一枚で来るといって、まるで年賀郵便でも出すように、兵隊を再び帰らぬ戦線へ送り出したものだ。

 

そして君自身もその哲学に酔わされ、身は鴻毛より軽しという言葉の内容をはきちがえ、一銭五厘くらいに我を評価していたんだろう。

 

国家の興亡、天下の騒乱、身辺で狂号する有象無象、いっさいの感覚世界を離脱して、永遠の境地にどっかと座っている我を見いだし給え。この見えざる世界において真理の光に一度照らされ給え。万事はそれからだよ。

 

君はきっと泰山よりも重く、風よりも自由なる我を発見する。この大いにして自由なる我を完成するんだ。完成されたる我を再び鴻毛よりも軽くするんだ。そういう人が集まってはじめて、民主主義の社会ができるのだよ。

 

まあ、今日の社会を見給え。鴻毛より軽い連中が集まって民主国家をつくると騒いでいるが、まるでところてんで家を建てるようなものだ。一本立ちすればぶるぶる震える骨なしだから、一人の田中という男に会うために何百人も徒党を組んで赤旗立てたりなんかしてデモをやったうえ、いざ会見となると何十人も手をつながなきゃ文部省の門をくぐれないんだ。勝海舟が草葉の陰でしかめ面をしているよ。天下りはごめんだ、下から盛り上がる力を結集してやる、と口では叫びながら、一方では中心人物や指導者を探しているんだからね。こんな連中に任せておいたら、軍閥の代わりに勤労階級出身の独裁者をかついで、ナチスドイツの二の舞をするようになるかもしれないよ。だって彼らのやり方は相変わらずの全体主義だもの。なにしろ、焼け跡にちらばった歯車であるかぎり、だれかが集めて動かしてくれなきゃ回らないんだからな。

 

全体主義のかすをいっさい取り去って民主主義に切り替えるためには、一人一人が単なる部分品ではなくなることがまず必要だ。一人一人が一つの独立した機械にまで大成して、一つの工場の中で有機体的な作業を営むというふうにしたいものだね。

 

我の発見!これぞ君が今日ただいまよりなさねばならぬ大仕事だ。「おれは何だ!」この命題を命にかけて考えてくれ給え。日本再建のかぎを握っている若い君に、特にお願いします。(ロザリオの鎖)

 

 

 

ロザリオの鎖 (アルバ文庫)

ロザリオの鎖 (アルバ文庫)

 

 

この文章に込められたのは怒りか、悲しみか。どちらでもあり、そしてそれだけではないだろう。胸を突かれ嗚咽を禁じ得ないような、強い文意を込められたこの文章の全文を、できるだけ平静な気持ちで音読してみる。どのような感情を持ち、どのような語調で永井氏は語りかけただろう。例えばこのような行為から、心身を整えることの実感が得られるようにも思う。

www.city.nagasaki.lg.jp

 

 

霊長類研究者である河合雅雄氏は、自身が霊長類研究を志した動機として「戦中戦後に人間の闇の部分、負項を直視し実感したことが、研究への重要な原動力になった」としている。自伝的な著書である「学問の冒険」に記された内容をみると、とても現代人には真似することのできない不屈の精神力と行動力で、その道を切り開いてこられたことが解る。それも戦争という無益な行動を起こし、反自然的な存在であるヒトという種の行く末を見極めるということが、戦争体験から固められた強固な動機になったものと思われる。

 

これからの時代を生きていく若い世代へ向け、河合雅雄氏は以下のような言葉を記している。

 

いつの時代にも冒険は若者の特権であった。そして未来の世界を探り、未知のことを調べていくこと、そこには必ず危険がつきまとい、また保守的な力がその伸張を阻止するが、若者たちは自分の力でそれを克服し、広い広い世界へ羽ばたいてきたのである。若者たちにはそれを可能にする力が、元来備わっているのである。
過不足のない人生を歩み、安全な世界に浸る未来も悪くはないが、そこからわずかでも踏み出せば、広大な楽しい世界が開けるであろう。学問の道でも同じことがいえる。自分が持っている独自の資質を伸び伸びと発揮することこそが、創造力を生み出す源泉である。そのためには、それが可能な環境を選ぶことも大変重要なことだ。フィールド調査がうまくいくかどうかは、適地を選ぶことから始まるのと同じことである(学問の冒険)

 

既に「大人」と呼ばれる世代は、若い世代が持つ瑞々しい資質を伸張し、進んで冒険に出られるような環境整備をすることが、求められている大きな仕事なのではないだろうか。

 

 

学問の冒険 (岩波現代文庫)

学問の冒険 (岩波現代文庫)