鏡花水月

キョウカスイゲツ

美の帰結

 

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突風に煽られた桜の、火花のように放散する花弁が視界を薄紅色に覆う。景色は夥しい花弁の隙間に霞んで見える。こうした光景を桜吹雪と呼んだのだと、不図そんなことを思う。目の前にした光景と文字とが重なり合うという経験に自分は乏しいのではないかと、そんな気にもさせる。

 春が笑っている。

 自分にとって一番遠い季節は春だと思っていた。

冬の寒冷の厳しい土地の出身であるからかもしれないが、自分に近しいと思うのは冬ー冬景色なのだった。

 

生きていると色々なことがある。時折、癒えることのない深い悲しみに触れてしまうことがある。好むと好まざるとに関わらず、触れてしまった深い悲しみの渦中に於いて、泣くことも、そこから逃れることもできないという状況に陥ることもある。嵐が去るのを待つしかない。冬はいずれ終わる。そう観念的に思いはしても、それが今生きることの何の手助けにもならないと思うことがある。そう思う自分のごく身近なところで、花は咲き、幼子は笑う。

 

自分が安楽であると思う時に、できるなら世界の全てが安楽であってほしいと思う。自分の幸福が何かの犠牲の上に成っているのだと、そう思いたくはない。

 しかし、自分が深い悲しみの淵から逃れられないと思う時、同じように世界が悲しんでいてほしくはない。私が悲しむそのすぐ側で笑う者がいなければ、季節は止まったままなのだろう。

 桜の花弁を身に受け、春ということを今更ながらに思う。

 

女神

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生と死の繰り返しの中で、生まれ出でた後、何を携えて生きていったらよいのだろう。
先代に託された思いは、必ずしも次世代に引き継がれていくとは限らない。何しろまっさらな状態で生まれてきた子供が、先代の遺志を理解するまでに時間を要し、理解したところで遅すぎるということもある。早くから賢明にそれを理解しようと努力を続けた結果、正反対の方向へ向いていくこともあれば、その逆もある。正しさとは何か、そんなことが常に付き纏う。

 

ところで、そういう私は何を託されたのだろうか。故人となった祖父母は、何も言わず寧ろ心の中で詫びているように見えた。戦後地位も財産も失い実子に何もしてやれなかった、そうした悔恨を孫の代にも重ねていたようだった。

口では何も言わない分、眼差しや態度から溢れる言葉は雄弁だった。子供ながらにその複雑な暗号を解きたいと私は願っていた。何故なら、祖父母は私という存在の全体を尊んでいてくれていたと感じていたからだ。

今改めて子供の自分が胸の内に抱えてきた、捕らえ所のない霧のような想念を、言葉として置き換えるとこのようになる。

ある時一度、祖父の辿ってきた人生について、はっきりとした言葉で知りたいと思い、自伝を書いてみることを提案した。祖父は一寸の間をおいて、「いや、もういいだろう」と言った。私はそんなことを祖父に言ったことを悔いている。祖父という人は、そんな孫の至らなさも意に介さないという風であったから、私は益々恥じた。

亡くなる時、祖父は少し笑ったように見えた。実際のところは解らない。側にいた母もそのように思ったらしいが、それを慰めとしようとすることに、母は益々自分を責めた。母が祖父を大切に思うが故に打ち消そうとする気持ちは理解できるが、私はあの時祖父は笑っていたのだと思っている。見定めたところにある死を、祖父は受け入れた。そうした死に方だった。

掛け替えのない祖父母に出来ることの最善は何か。祖父母からの直截の言葉はないが、精一杯生きることはしたいと思う。次の世代ということを考えるような年齢になって思うことも、それ以外にないと思うからだ。

 

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 「生きる」と一言で表現できるが、実際にはそれが一番難しい。必死で身を護らねばならない状況下にいるのでなければ、生きることを実感として捉えることは難しい。暇を持て余したところで一寸考え、後悔したくない、と思う。後悔しないということはどのようなことなのか。今できるだけのことはしておきたいと思う、それが、手に届く範囲の欲望の全てを満たすこととされたなら、憤りを感じるだろう。そんな低俗な生き方はしていないと否定したい気持ちが起こるだろう。しかし実際のところどうなのか。何かを手に入れることに、生きる実感を持てない事の慰めとしているところはないだろうか。或いは、崇高な目的のために生き、その到達に生きることの意味の全てを被せられるだろうか。名誉も肩書きも慰めにしかならない。何故ならば、それを持って死ぬこともできないからだ。

 

生と死は繰り返される。生死が更新されれば益々賢くなるのならば、そろそろ神と肩を並べられる人間が現れてもいい気がする。しかし実際は零からから始まり、うまくすれば数十年の寿命を保つだけの存在である。人間が生涯をかけて考えることも、数百年、数千年の隔たりがあったとしても、近似値にあるだろう。生と死の繰り返しに、人間は何を考え生きてきたのだろうかと思う。

 

例えば神話や昔話が何故創られ、語り継がれてきたのだろうか、というのは子供の頃からの疑問であった。大人は子供がいつまでもファンタジーの世界に生きることを望まない。にも関わらず、単なるフィクションであるとして、現実から切り離されてよさそうに思えるものを、大人は決まってそれらを子供に与え、子供はそれらを世界を掴む手がかりとしていくのを自然としているように思える。そしてそれは世界共通のことのように思える。人間の一生をそれとなく示した神話や昔話には、人間の全体性ー意識・無意識を含めた心の多層性ーが含まれている。神話や昔話をそらんじれば、世界の成り立ちの大凡はつかめるのではないか。しかし、意識には個人差や文化差があり、そのイメージを展開した神話や昔話には日本と西洋のそれとは様相が異なるところに、理解を阻む壁が生じる。

 

河合隼雄はその著書に、日本の昔話には、ヒーローも、ロマンティック・ラブも、ハッピーエンドもないことを指摘する。日本人は何故かそれらに共感を示すことはあっても同調できないと感じる。意識化される単純な幸福を日本人は畏れる。また、因果応報の固定化された筋立てにも安らぐことはない。寧ろ終末には全てを束ねようとした物語の要が破綻し、思いもかけないもう一つの物語が語られる、だとか、主人公の物語として追っていたものが、実は別のものによって語られた主題があったなどの、どこか一点の収束には向かわないところに、日本人は肯定を置くような気がしていた。小説然り、映画然り、描画を観ても、細部に渡って克明に描きながらも、主題を置くことをー焦点化をー避ける風である。日本人が至上とするものは何かと、日本人でありながら疑問に思う。日本人が大切にしているものを、日本人が言い表せないのだから、他国から理解されないのも尤もなことである。しかしそこに定住できる時代は終わった。河合が神話や昔話について著書を重ねたのも、それを危惧したからである。

 

外に向けて表現することの困難を、河合は昔話にみる変転する女性像を例として挙げ説明する。日本の昔話にみる女性は様々な描かれ方をしている。『あわれ』ー自己犠牲的、『放逸』ー性器の露出、「笑い」と「開け」、『包含』ー食い尽くす、『異類』ー狐・天人、『インキュベーション』ー手なし、『母性の否定』ー受け身・耐える、『知者』ー意志する、というように、ラベリングするだけでも日本の昔話は様々な女性像を描出する。これらからは、男性の後ろを半歩引いてつき従うといった、通説とされてきた「日本の女性像」は見あたらない。重ねて、河合はこれら昔話が提示した女性像に、男性に対しても共通する生きる指針となるものの多くが存在することを挙げている。何故ならば、「一般的、公的なものを裏から補償する機能を昔話が持つ」からであり、「日本の社会制度としての強い父権性」は、これら昔話で活躍した「女性の英雄像」に支えられているからであるとする。女性の英雄像が示すのは、「全体性」であると河合は結ぶ。

完全性は欠点を、悪を排除することによって達成される。これに対して全体性は、むしろ悪をさえ受け容れることによって達成される。父権的意識は、ともすると完全性を目指そうとする。それは鋭い切断のはたらきによって、悪しきものを切り棄ててゆく。ところが、女性の意識は何ものをも取り入れて、全体性を目指そうとする。しかしながら、何ものをも取り入れる、ということ自体、完全性をも取り入れねばならないことになってきて、それは内部矛盾を許容しなくてはならない。ここに全体性の難しさがある(昔話と日本人の心)

 

ノイマンが父権的意識に対して、母性的意識の存在を指摘したとき、それは発達的に見て、前者を後者よりも発達したものと考えられると述べる一方で、成人男性でも「創造の過程」においては、母性的意識が意味を持つと指摘していることは、一考に値することである。このことは、父権的意識、母性的意識というのは、ある個人の獲得した不断の段階なのではなく、状況によって変わり得る状態としても見られることを示している。(中略)唯一の自我、それによる統合、というイメージは西洋におけるキリスト教文化によって生み出されたものであるから、我々は多重の自我の存在ということを考えてもいいのではないか。その方がこれから多様化する世界に対応しやすいのではないか、と考えられる(昔話と日本人の心)

 

 

昔話と日本人の心 (岩波現代文庫―学術)

昔話と日本人の心 (岩波現代文庫―学術)

 

 

 

夏の一日

 

魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。(方丈記

 

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蝉は土中の闇に生きる数年を経た後、ある夏に土より出で、数日にして死ぬ。

数年の闇の生活は、盛夏の光溢れ、生命力に満ち、絢爛たる夏の一時を謳歌するために準備されたものである。燦々と照る陽光を欲しいままに浴び、至上の光に包まれて死ぬ。蝉はそのように運命づけられている。
もしもその言葉通りの生涯であるのならば、教えて欲しいものだ、その夏の一日に、何を見て何を知るのかを。

 

平原に咲くと同じように、アスファルトの僅かな隙間に咲く花がある。
花は考えただろうか、何故アスファルトの間隙に生を受けねばならなかったのか、平原に咲けば際だったであろう花の美しさを、アスファルトの隙間に固持する意味について。もしそのように考えたのならば、花は立ち枯れてしまっただろう。

 

そもそも、蝉の短命や路上の花にあわれを感じるのは、人間の勝手である。自然は美や調和を生の目的にしてはおらず、それらの表現者でもない。険しい山並みに崇高さを、大河の流れに悠久さを、草木に土の豊饒を観るのは人間であるからである。自然を見て自然に親しみ、その美しさに心奪われる。肉体は一つであっても、内も外も変転し取り留めのない人間の生を、何処で結ぶのか。例えばそれを美に求める。自然は美を眼に見えるもの、触れられるものとしてそこに在り、それに融合することを人間は望む。しかし、美も移ろうものである。ある人の示した美は、別の人にとってもそうであるとは限らず、同じ美を観てもその感じ方は様々である。美は何処にあるのか。美はその人固有の時間枠における、瞬間に生じるものである。

 

例えば河合は「とりかへばや」物語から「美」について以下のように述べる。

 

平安時代の人々の生き方を考える上で、非常に大切なことは、彼らがわれわれよりもっと死に近接した生を生きていたということであろう。死というのは段階的に到達し得る目的ではなく、いついかなるときに訪れてくるか知れぬものなのだ。彼らにとって、真の目標はこの世にはなくて、死んだ後の生にあるのだから、生と死が近接した生を生きつつ、常に想いをあちらに馳せることが必要であった。そのような意味で、死に極めて近い体験として性があったのではないか。(中略)既に述べたように、性体験はエクスタシー(外に立つ)に導かれる。男女の限りない一体化と、それらの外にたって見る、次元の異なる意識体験は、生と死が限りなく近接し体験を得さしめることになったのではなかろうか。それは自我と他の自我との関係の成立ではなく、自我の溶解の状態であり、それは当時の人間関係の基盤となるものではなかったろうか。ただ、そのような溶解は堕落や破滅につながることも彼らはよく知っていた。それを防ぐための一つの座標軸として、「美」ということがあったのではなかろうか。従って、美ということが倫理的規範となったのである。美しいものは善なのである。従って彼らにとって和歌をつくることは必須の条件であった。両者の出会った体験は、何らかの意味で「自然」と結びついた形で美しく謳う必要があった。二人の自我が溶解すること、それは自然の流れのなかへ同一化することであった。ここにいう「自然」とは西洋の近代でいう、自我と対立する自然(ネイチャー)ではなく、東洋的な自然(じねん)のことである。(とりかへばや、男と女)

 

とりかへばや、男と女 (新潮選書)

とりかへばや、男と女 (新潮選書)

 

 

 優れた和歌や俳句は、「何」と示すことが難しい。これという一点に結ぶ形をとっておらず、全体に離散しているように思える。考えてみても「美」は何かの目的として置き換えることができず、またそうであるから重んじられているとも言える。単純な形をとらず、言い尽くすこともできない、しかし人間の触れることのできる固有なもの、それが「美」なのではないか。そのような「美」を重んじそこに「善」を置く日本人の心性は捉え難い。日本人の「善」とは「調和」なのではないか。

 

「調和」とは何か。河合は、美として感じられるものの背後に深い悲しみのあることを指摘し、それを西洋の「原罪」に対し「原悲」であるとする。

 

ユダヤキリスト教のように、人間が自然と異なることを明確にするときに「原罪」の自覚が必要となるように、人間がその「本性」として自然に還ってゆく、自然との一体感の方に重きをおくとときに、「原悲」の感情がはたらく、と思われる(神話と日本人の心)

 

「原悲」は「あわれ」である。あわれみは物事を認めるが排除する方向に向かわない。それが例えるならば調和であり、悲しみの洗練した形なのではないか。
河合は西洋の美は「完全」であるが、日本人の美は「完成」であると述べる。この指摘は卓越している。そこに美の「完成」をみることを、日本人は善しとしているのである。

 

今後の日本の課題として、河合は神話にある招かれざる神ーヒルコーについて述べる。出産の儀式において女性神から言葉を発したことの過ちから、立つことのならない不具者として生まれた神ーヒルコーは日本の国土から追放された。それー招かれざる男性神ーを再び受け入れることを日本の課題とする。立つことのならない、とは「根無し草」の比喩と同義である。

 

若者たちは「個人主義」に生きようとしている。しかし、これはヨーロッパ近代に生まれてきた個人主義(individualism)とはあまりにも異なるものだ。ポーリン・ケントは、現代日本の若者の生き方を、集団主義でも個人主義でもない特有の「コジンシュギ」と名づけ、その欠点を明確に指摘している。「個人主義」に必要な社会主義も責任感も身につけていない、このような若者をつくってきたのは、その親たちの責任も重いことを、ポーリン・ケントは的確に述べている。このようなことが生じてくるのは、日本人のこれまでの生き方に関しても、あまりにも安易に西洋の真似をしようとして、まったく根無し草のような「コジンシュギ」の生き方をしているためではなかろうか(神話と日本人の心)

 

神話と日本人の心

神話と日本人の心

 

 

 これまで河合の著書から追ってきたように、日本人の心性から男性神をその中心に置くことは困難なことであり、危険も伴う。だが、日本の神話や昔話にみられる日本人の姿は愚かしくあって賢く、悪が善にも変じ、総じて美という離散と合一に完成をみる、何にも代え難い豊かさがある。古来語り継がれたものを一つ一つ丹念に読み解く作業は容易いことではないが、今それをすることの意義を、河合は的確に捉えていた。日本人とは何か、全く身につまされるこの課題に、私たち一人一人がこれと示せるものをもつことは、この国ということだけではなく、世界に照準を当ててみても、意義あることに他ならない。