鏡花水月

キョウカスイゲツ

空を穿つ

果てのない問い

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人間とは、自分の存在そのものに疑問を持つ生物であるという。
しかし、そのことに自覚的に生きることは難しい。

 

自身の認識や行為その一々について、「そのように思う、そのような行いに及ぶお前は、一体何者なのだ」という鋭い刃物の切っ先を突きつけられるようにして生きるということは、生死の所在を捉えることも難しくする。

 

安住の地は、桃源郷は何処かにあるのか否か。大航海時代を経て、地表は同一平面上にあると知る。

 

人間は天国について想像することは難しく、悪に対して親和性があり、地獄については芳醇なイメージを描き出すことが出来るという。

 

例えば昔話にある天国のイメージは、現世における希少な鉱物、動植物で満たされた世界として描かれる。宝石の実る鉱物で出来た植物、実を絶やさず枯れることのない木、などの自然を欠いた永遠や不死のイメージに親しみを持つことができず、天国のイメージは何故か平板になる。他方地獄は、用途様々の拷問具や凄惨な死のイメージをまざまざと思い描くことができる。これは、天国も地獄も死後の世界のイメージでありながら、そもそもが人間の思考の範囲内にあることに起因する。人間は完全な幸福を知らない。また自身の存在を是とする明確な論理も持たない。存在することがそもそも自然界の調和を乱す悪なのだとする思考の向きに牽引されやすい傾向にあるとも言え、なおかつ生老病死の四苦を回避することの出来ない運命にある。これらのことは、つまるところ人間の思考の範疇において把握しようとすればこそである。人間の思考には、原因と結果を明確にすることのできない限界がある。人間の頭の中に見つからない答えは、人間の外にあるとするしかない。「自然は解だ」と養老孟司氏は言った。

 

生物には、空いている生活空間ー生物的地位(ニッチ)に進出しようとする基本的傾向がある、と河合雅雄氏は言う。生存、生命維持のために他の生物との対決を選ぶよりも、新たな生活空間を探す方がよりリスク回避にもなり合理的でもある。

 

これは人間の思考、精神にも同じ事が言えるのではないか。対立概念の中で思索の海に溺れるよりも、第三の地表に歩を進めてみる。第三の地表ー対立概念の間隙を縫うのは、中立、中空、あるようでない、そのような立場である。

 

正しくもあり、誤りでもある。そこに位置するとしても、そことは一体どの地表であるのか。容易に想像できない、と直ちに結論してしまいそうだが、それは既に具現化している。それは「私」である。「「私」とは一体何者であるかと問い続ける「私」という存在」が既に在る。「私」とは、そのような無色透明でありながら、影と傾向を持つ存在である。

 

抽象と具象

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子供は透明な存在である。

 

「私」という確たる意識もなく、見つめれば澄んだ眼で見つめ返してくれる。子供は子供の扱える限られた言葉の中で世界を語ってくれる。奇妙な暗合のような言い回しが何を示すのか、大人の扱う言葉で考え、大人の世界に置き換えられやっと「(意味することが)わかったよ」と子供に伝える時、子供は「何を今更」というような表情を浮かべる。そうした双方向になるようなならないような関わりは、していて飽くことがない。

 

自我という概念が輸入され、子供がどのように大人になっていくのかが解りかけた気がしていた。しかし本当に子供は段階的な解りやすいモデルとして提示できるような過程を経て大人になっていくのだろうか。

 

透明な存在が「私」という限定した枠にー敢えてー大人の世界の要請から、その暗黙の強請を敏感に感じ取り、生存のために「私」という形を自ら作っていっているのだとしたら、どうだろう。

 

幼少の頃は特に、子供の問題は親の問題と強固に結びついているとされる。子供は親の眼差しを、そこに含まれる無言の要請を機敏に感じ取っている。最も身近な存在であり、世界の解読者である親の言葉から、世界の枠組みを創っていく。そして世界の創造者たる親に対しコレクトである自身をも作り上げていく。誰かのための「私」を多くの時間をかけ作っていくことへの反駁が反抗という形を採るのは尤もなことである。
ある反抗を経て、「私」を遠目から見直すというイニシエーションを経て「自我」が完成する。

 

ここでもう一度、「自我」の衣を脱いでみる。

誰か、何かとの対比から「私」を見るという視点を、もう少し外してみたい。それは、発生するところがないところに「問い」をたて、それをどこに結びつくのかも知らず「解く」という試みである。

それが何になるのかーという発想は捨てる。
この閉塞的な世界に穴を穿ってみる。
その試みの一つが「私」であるとしたらどうであろう。

 

「私」は生まれた時にある基軸、定点を示す。そこから世界を「見回す」ということをすると、「私」が生きられそうな範囲は既に限定されているような気がしてしまう。しかし「私」が「見回した」世界は世界の全てではない。「私」という仮定から導き出された「世界」は別の次元へ移動できる可能性がある。

 

「私」を「私」に限定させようとした「私」が何処かに同時存在している。「私」を見ている「私」が存在し、その「私」は「私」とは別の世界観と法則性を持っている。

 

抽象から抽象を描き出す所に、思いもかけない具象が出現する。
或いはそれを芸術と呼ぶのかもしれない。


空白

ドラッガー・コレクション展に行く。

http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2015/0519/0519.html


没後10年という節目に、生前日本画をコレクションしていたというドラッガーの所有する室町から江戸期にかけての水墨画を中心とした展示会である。

 

行ったのは最終日であり、閲覧者も多い上に体調も優れず、作品の一つ一つに向き合うには望ましいコンディションではなかったが、諦めることもできず向かう。

上記のような優れない条件のもと、自身が集中して作品を観られているのかと甚だ不安であり、眼を懲らしても霞掛けにしか見えていないのではないかと危惧しながら歩を進める。そのような中、足を釘付けにさせる作品に出会う。この時は伊藤若沖であった。

 

1795(寛政7年)年に描かれた「梅月鶴亀図」、若沖80歳の作品である。
両脇に鶴亀、中央に梅月を配した三幅対の構成で、描かれた素材は具象でありながら、その筆遣いに目を奪われる。「筋目描」という技法を駆使し、敢えて筆の筋を残す描き方が作者の筆先に注意を引きつけられる。しかし、そのような技法が描き出した素材は写実性を欠く。縁起物を描いたとしても、それぞれの素材に仰々しさはなく素朴であるようにも見え、見方によっては素っ気なくもある。月に及んでは空間に泳ぐ曲線としての表現に留まり、まるで描きかけの、未完成であるようにすら見えるにも関わらず、それは紛れもなく「月」なのである。粗雑な円の集合のようにしか見えない梅も紛れもない「梅」である。この作品に描かれているのはただ一つ、空白に対峙した作者の気迫であるに他ならない。作品としての統一を志向したのではなく、空白が作者に定位を求めたのである。

 

「マネジメントの父」としてその名を知られる経営学者、ピーター・F・ドラッガーは哲学者、社会学者、教育者、文筆家、小説家などの多くの側面を持つ。その人が「人生において必要欠くべからざるもの」、「正気を取り戻し、世界への視野を正すもの」として多くの日本画を所有していた。

 

ドラッガー日本画の特徴として、「トポロジカル」であること、「デザイン的」であることを挙げる。

 

トポロジーの中心課題は、角度、境界線、渦巻きなどで『何が空間を区分しているのか』ではなく、『空間が何を区分しているのか』を研究する。日本の画家たちは、いきなり線から描き始めているのではなく、まず空間を見て、次に線を見て描き始める。それゆえ私は、日本の美学はトポロジカルであると考える。つまり、描く対象を見る時、個々の部分の構成ではなく、全体的な形態、すなわち今日でいう『デザイン』を見る

 

上記のドラッガーの言葉から、そうした観点を以て若沖を観ると、「デザイン」とは筆を置いた時に初めて浮かび上がった、言うなれば作品としてのまとまり、或いは必然である。

 

走らせる筆の自由度は必ずしも作品としてのまとまりを意識してはいない。自身の中に月が浮かび梅が浮かぶ。その風景の中に身を置いた瞬間が作者に筆を取らせ、対象を描かせたのである。それ故に「梅月鶴亀」は若沖自身の息吹でもある。自身と切り離されたただの物質をなぞったのではなく、自身を超えた象徴的観念を表現したのでもなく、そこには若沖自身の実在観がある。

 

展示会準備中にドラッガー家のファイルから見つかった未刊の原稿として、1991年に執筆された文章が、図録の初頭に載っている。そこから次の一文を引く。

 

(前略)ーそして、西洋(ヨーロッパ)美術と日本美術、とりわけ室町水墨画との間にある違いは、観者の異なるアプローチなのだと思うようになった。西洋美術では、私が感じるところでは芸術は鑑賞者に眺められるもの、見られるもの(展覧会でするように)であるが、室町水墨画では、芸術は共に生きるためのものであり、芸術は人の精神的な環境になるのだ。

 

芸術に憧れ、芸術が志向する身の置き方に、私は強い興味を持ち続けている。