鏡花水月

キョウカスイゲツ

2016-01-01から1年間の記事一覧

黒い月

岡先生の文章 『これは絵なのだから、言葉にしない方が良い』 はらりと繰った頁に見いだした一節に、立ち所に心を奪われてしまった。何と物の解った人なのだろう、烏滸がましくもそのように思った。 酒井抱一の絵に、「月に秋草図」がある。 後方に月、手前…

美の帰結

桜 突風に煽られた桜の、火花のように放散する花弁が視界を薄紅色に覆う。景色は夥しい花弁の隙間に霞んで見える。こうした光景を桜吹雪と呼んだのだと、不図そんなことを思う。目の前にした光景と文字とが重なり合うという経験に自分は乏しいのではないかと…

時の断層

旅の途上 地図を持たずにその土地を歩きたいと思っていた。 通い慣れた道は、順路や距離を意識に上らせることなく歩むことができる。速度計算をせずとも、時間経過の大凡の見当がつく。そんなふうに、歩いてみたいと思っていた。 初めて踏む土地の、眼にする…

「癩王のテラス」

「癩王のテラス」 「癩王のテラス」は、癩病に見舞われた王の一生を綴ったフィクションで、癩病がかつて業病と言われたように、人間の業を描いた、三島由紀夫の創作した最後の戯曲である。この「癩王のテラス」は、小説「仮面の告白」と共に自伝的な要素を含…

星を射る(二)

風の行方 風が何処から来て何処へ行き過ぎていくのか知らない。頬に触れる微風を快く思い、過ぎ去ることを省みない。それは恰も鳴り止んだ音楽の余韻を聴くようなものである。 無風であることを無風であるというのは、風を知っているからである。全くの無音…

星を射る(一)

「沈黙の聖人」 「私が「私」というとき、それは厳密に私に帰属するような「私」ではなく、私から発せられた言葉のすべてが私の内面に還流するわけではなく、そこになにがしか、帰属したり還流することのない残滓があって、それをこそ、私は「私」と呼ぶであ…

天上天下(二)

世界の果て 原子爆弾によって私たちが受けた被害のうちでもっとも大きなものは、家を失ったことでもなく、財産を焼かれたことでもなく、多くの血のつながる者や友を殺されたことでもなく、体が不自由になったり、病気になって働けなくなったことでもなく、実…

天上天下(一)

ありふれた風景 年が明け一月も過ぎようとしている。今年は年末年始と勤務で、正月は平日と変わらずに過ぎた。今時分同僚は家族と団欒していることだろう、そう思うのも悪くなかった。 子供の頃は正月が待ち遠しかった。亡くなった祖父の生前には、年末から…