鏡花水月

キョウカスイゲツ

2015-01-01から1年間の記事一覧

「阿留辺幾夜宇和」(二)

明恵上人 「ユングの言う個性化、あるいは自己実現について、日本人としてはどのように考えるべきかが、私にとって終生の課題となった」と記した河合隼雄氏は、「個性化の過程」についての洞察を深めることをも目的の一つとして、明恵上人を取り上げ『明恵 …

「阿留辺幾夜宇和」(一)

「心を開く」 「心を開く」という表現がある。心は開いたり閉じたりする構造であると、いつから言われ認知されたのか知らない。 例えば、面接法でオープンクエスチョン、あるいはクローズドクエスチョンというのがある。これは、質問者が回答者に「語らせる…

『零までの道』

「呼ばれる」 「本には読前・読中・読後の佇まいがある」とは松岡正剛氏の言われた言葉である。偶然手にした一冊の本が、その人に「その時」ーその本に触れることが最も望ましい時期ーであることを告げ、その人の中に他に代替がきかぬものとして認知され、や…

白風

落葉 都心にある小さな神社の境内の隅に座り、参道に連なる銀杏を眺めていた。 季節は秋で、紅葉した葉色が美しかった。見るともなく葉の落ち掛かる様を眺めていた。銀杏の黄色い葉は無風の中、様々な表情を見せながら地表まで舞い落ちてみせた。その葉一枚…

私たちが既知のものについて知る、幾何かのこと(二)

河合隼雄の語る「愛」 (前略)コンプレックスの解消のためには、ある程度の危険を犯しても「対決」する必要がある。ここに「対決」と言ったのは、そこに相当に感情も動くので、なまやさしいことではないことを示している。それと大切なことは、その「対決」…

私たちが既知のものについて知る、幾何かのこと(一)

「一つ」を問う ヒトという種は何故存在するのか。 サルの「幼形成熟」という変異種が、「成熟」を押し進めた結果として、「幼児化」が進行していくのだろうか。シニカルに考えると、「幼児化」を志向する「進化」は、社会現象の中に多く見て取れる気さえす…

夏空の雲(二)

8月9日 戦争中に青壮年期を送った、いわゆる戦中派とよばれる人びとは、私の知る限り、戦争について語りたがらない傾向がある。誰しも大なり小なり、いやな思いをしたらかであろう。自分の戦争体験について語ることによって、いやな思い出を心の奥底からわ…

夏空の雲(一)

生命の所在 「言論の自由」ということを考えるとき、種々の法律は生きている人間に対してのものなのだと、改めて思わされる。事故、災害、戦争などで不意に死した人間は、死に際し言葉を残す暇もなかった。だが、近しい人の内に、死者が死後も語りかけてくる…

空を穿つ

果てのない問い 人間とは、自分の存在そのものに疑問を持つ生物であるという。しかし、そのことに自覚的に生きることは難しい。 自身の認識や行為その一々について、「そのように思う、そのような行いに及ぶお前は、一体何者なのだ」という鋭い刃物の切っ先…

「終わり」

出逢うということ 人と出逢うということは、考えてみれば不思議なものである。 毎日行き交う人々の、一々を数えようとすれば膨大なものになる。擦れ違いはすれど、行き合うということは希で、更に「出逢った」と感じることは、厳密に考えれば殆どない、ーも…

籠の鳥を放つ(二)

「持たざる者」 もしも人間が他の動物に劣らない強固な牙や爪を持つのなら、それを手がかりにーそれを本能に据え置いてー生き延びようとしただろう。ところが、人間は何も持たないともいえる状態でこの世界に生まれ落ちる。 「持たざる」ことを嘆き、自身を…

籠の鳥を放つ(一)

「物語」の始まり 良き指導者は「待て」が言える者だ、と何処かで目にした一文を、これまで幾度となく思い返しては、その意味するところを考え続けてきた。 「行け」や「行くな」の指示は理解しやすいが、「待て」という指示は何を示しているのだろう。 よく…

船を渡す

沈黙する海 人間を海に浮かぶ器に例えたのは、不確かな記憶によればゲーテだった。 確かに人間というのは、身体という無意識の海に、中に小さな脳の入る頭蓋という容器を浮かべている、というふうにも例えられるのかもしれない。 身体教育研究所所長・野口裕…

言葉の外

月に問う 夜道を行きながら月を見上げ、漠として思う、「今日は何事も無かった」と。薄雲の向こうにある月は、時折雲に隠れては再び現れる。雲間から光を強弱させる様は、思案顔をしているかのようにも見える。月は言う、「何も無いとは、如何なることなのか…

「この日の学校」in板倉(三)

「風景」を共有する 「これから必要なのは風景を共有することである」と山本氏は言う。西洋の統一を求める(普遍性を求める)欲求には人間の根源的な欲求があるからではないか。ARTとしては風景として俯瞰する欲求として風景画が発生したのではないか。また…

「この日の学校」in板倉(二)

「数学を通して身体を整える」 「数学を通して身体を整える」というタイトルを以て、どのようなイメージが沸くだろうか。「数学」と「身体」がどのように関連するのかについても、一寸見ただけでは浮かばない。まして数学から身体を「整える」とは如何なるこ…

「この日の学校」in板倉(一)

「この日の学校」in板倉の序章としたおおまかな感想に続いて、講師の先生方の対談で語られた内容について触れていきたいと思います。対談はノートと取りながら聴いていたので、それを紐解いて眺めていたところ、様々な考えが取り留めもなく浮かんできました…

「この日の学校」in板倉温泉・大黒屋 prologue

4月中旬、那須、板倉温泉・大黒屋において開催された「この日の学校」に参加しました。これは昨年秋にも同地で開催されており、今回はその2回目にあたります。講師は前回同様に武術研究者・甲野善紀先生、東京画廊代表取締役社長・山本豊津氏、独立研究者・…

「この日の学校」in京都

「この日の学校」 「この日の学校」という他に類をみないタイトルのイベントの説明を以下に抜粋する。 ●この日の学校にこめられた思い 学校(school)ということばは古代ギリシア語のスコレー(schole) ということばを起源にもつ。スコレーとは、古代ギリシア…

萩再訪

萩再訪 その土地の風土に触れ、読書で得た知識を体感的に自分の中に取り入れたいという思いを持っての旅であったが、実際にはほとんど何も見ていなかったような気がしていた。現地で出会えた、自分の興味のある歴史人物の直筆の書の一言一句が、想像していた…

旅をすること 旅の動機はわからない。私的な旅行などしたこともなく、また興味もなかった自分が、最近は史跡を巡っている。 きっかけは母を旅行に連れ出したかったからだともいえる。生計を立てることと育児とに人生の大半を費やし、贅沢もしないできた母へ…

声のない対話

「こっけい美」 この言葉を初めて目にした時、正直面食らってしまった。 「滑稽」に「美」を感じるとは如何なる感性なのかと思ったからである。通常「滑稽さ」に「美」を感じるということはないように思う。強いて言うと、チャップリンの作品に観るような、…

四季の巡り

四季について 四季の循環について意識を向けるようになったのはいつからだろうと思う。 春は散り急ぐ桜と共に瞬く間に過ぎ 夏は日差しの強さに疲弊し 秋は冬の到来を予期し 冬は吹き荒ぶ風で身体の芯まで冷え切り、ただ堪え忍ぶうちに過ぎた 私にとって季節…

「明暗」

夏目漱石の未完の絶筆と言われる「明暗」。最晩年の作品である。この作品を初めて読んだ時、流石漱石だと思った。何が流石なのかと言えば、おそらくここまで描けば作品全体の構成が見渡せる、そうしたポイントまで漱石はこの作品を描いておきたかった。巻末…

白露の己が姿をそのままに紅葉に置けば紅の玉

「CHOREOGRAPH LIFE ー "Being There"ただそこに在ることの深さ」 昨年鎌倉建長寺で開催された、玄侑宗久氏と森田真生氏の思想と禅の実験的トークセッション「CHOREOGRAPH LIFEー"Being There"ただそこに在ることの深さ」を振り返り、その印象を記す。

謹んで新年のお祝いを申し上げます。

Hatenaブロガーのみなさま、はじめまして。 amebloから移行し、2015年からはこちらでblogを展開していきたいと思います。 amebloから引き続きお読み頂けるみなさま、今年もどうぞ宜しくお願い致します。 年頭に向けた言葉 新しい年の初めに向け寄せられた、…