鏡花水月

キョウカスイゲツ

私たちが既知のものについて知る、幾何かのこと(一)

「一つ」を問う

 

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ヒトという種は何故存在するのか。

 

サルの「幼形成熟」という変異種が、「成熟」を押し進めた結果として、「幼児化」が進行していくのだろうか。シニカルに考えると、「幼児化」を志向する「進化」は、社会現象の中に多く見て取れる気さえする。そしてそれらを斜に構え論じてみるのは一種の遊戯のようだとも思う。明らかなることの多くは平面的で奥行きがなく、頁を繰れば消えてしまう程度の無味乾燥な言葉が視界を遮り、その存在を平坦なものに規定する。

 

否定すれば非人道的だとのレッテルを貼られるような言葉は容認し難い。「愛」や「平和」について、それらを否定しようとは思わない。否定するとすれば、それらを語る内容にある。内容に偽りがある場合は、それらを否定する理由が生じる。「自由」が語るのが、それらの概念の意味するところの真偽をも包括するものであるとするならば、私たちは「自由」が生じさせた混沌に埋没するだけのようにも思える。

 

私たちはそれらの意味するところを1つであるとする「自由」がある。
そして人間は未だにただ1つの概念を打ち立てられたことはない。
「愛」、「平和」、「平等」、「自由」、振りかざされたそれらの言葉の下で、無惨に死んでいく人間は後を絶たない。

 

「唯一無二」とする人間が、「1つ」であることを実感できないとは不思議なものだ。「私」という存在は唯一無二のものであるから、そこに安住して良さそうなものだ。「私」が1つであるという理由は誰かに補償されるものではなく、生まれながらに1つなのだ。言葉は、それを確認するだけのために使われるものではないのだろうか。


野口裕之先生はこのように言われる、「「愛憎」という言葉があるが、愛していないことは、憎んでいるということなのか」。愛と憎しみは表裏一体であるーとは広く知られたことであるが、掘り下げて考えてみるとそこに不自然さがあることに気づかされる。「愛するが故に憎む」、この文脈から考えていくと、愛するということは、自分の思い描いた通りの報恩を相手から無条件に望むことである。それが成らない時には憎しみとなる。つまり、エゴイスティックな自分を無条件に受け入れ続ける相手のあることが、愛の成就である。
このような状態は関係性の中では特殊な部分であり、とても一般化のはかれない内容である。常識の中には、その語句の内容を突き詰めて考えていくと、不自然なものが多くあることが解る。その不自然さの鋳型に自らを形作ろうとするが故に、窒息しかけている人間は多いのではないか。

 

一般的に人間の望む幸福を約束されるような概念の下で、人間の生命が奪われていくのは何故なのか。


万里無雲

「万里無影」と永井隆博士は記す。

 

原爆投下後の荒野となった浦上を、月が照らす。そこに人影も、何かの痕跡すらも認められない。月に照らし出された原始野には影すらない。

原爆投下後10日程が過ぎた月夜に、永井博士は「万里無雲」の言葉を思い起こす。そこで無常を思い、残りの生命は移り変わることなく、滅びないもののために捧げようと意を新たにする。

 

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千江有水 千江月 万里無雲 万里天 (嘉泰普燈錄)

 

空に浮かぶ天体が一つであることは、万人が知ることである。
しかしそれが意味するところは一つではない。ある時は人間の心に豊穣と安寧を、ある時は不安や恐怖を掻き立てる。あるものの像を万人の心が一つに結ぶことがありさえすれば、と人間は幸福を実現させる手段として望む、心が一つになれば、と。心が一つになるには、万人の心が凪いで鏡の様に澄み切った状態でなければならないだろう。波一つ立たない水面のように澄んだ心にはただ一つの真実が映るだろう。
しかしそれを実現させるには多くの困難が伴い、尚かつ人間の一生は短い。

 

原子野に浮かぶ月は、ある者に悟りを与えたが、ある者には失われたことの大きさを、ある者には怒りと憎しみを、ある者には絶望を与えたのかもしれない。ある者は全く忘我の状態で何も感じなかったのかもしれない。そしてそこには理由がある。

 

永井隆博士は放射線医学の研究者である。放射線診療は、当時社会から民間療法と同程度の認識しか得ることができずにいたが、後に結核診療の要となり広く普及するに至った。生涯を捧げる覚悟での放射線医学研究への情熱は、原爆投下後も変わることがなかった。その情熱を支えたのは、放射線の発見は、それを発見した研究者の熱情の中に、世界戦争の導線を引き、人類滅亡をもたらすという目的が研究の前提としてあったわけではないことと、当時欠乏が危惧された石油等の資源の代替となり、有限であるエネルギー剥奪戦争の勃発を封じる手段と成り得るのではないかと考えたからであった。このため、自らの死後は、実子に自分の志を継ぐこと望み、荒廃した原始野での生活を敢えて体験させた。

 

しかし科学について絶対視していたわけではなかった。研究を深めるうちにそれが絶対ではなく、科学をもってしても証明できないことが多くあることを知るに至る。後に博士はカソリックの信者となった。科学に唯一の価値を置いていた時は、信仰について殆ど迷信と同じ程の認識しか持っていなかった。しかし歴代の偉大な科学者の根底に信仰があったことを知り、自らもカソリックに入信した。科学は全てを証明できない。しかしそのような認識に至ってからも、研究への情熱を保ち続けられたのは信仰の力だった。

 

ここに永井博士の内面にある矛盾と葛藤をみる。

 

カソリックへの入信は、西洋への転向である。
自国民、国内の多くの無力な非戦闘員の生命を奪い人生を狂わせた元凶である放射線研究への情熱を捨てられないのは、我執である。
果たして単純にそう言い切ることができるのだろうか。

 

普遍性を追求した科学者の根底にある西洋の信仰から、それが何故生じたのかを追求しようとした。
自らの人生も狂わせ、後に死に至らしめた放射線が、人類にとって何を意味するのかを見極めようとした。
日本を戦争へ向かわせた、帝国主義の薄弱なイデオロギーの発端について考えてもいた。それは、「村医」と題された小説にもみてとれる。この小説は、維新後の混乱の中で「村医」として身を立てようとした両親の受難の記である。両親は「村」の、極小の社会共産主義めいた社会で、学問がなく、信仰が迷信にすり替わり、私利私欲と保身に耽溺する村民に苦しめられる。そこで医師の職務や医療そのものについて、ひいては日本の在り方について考えさせられる。

 

村医 (アルバ文庫)

村医 (アルバ文庫)

 

 

永井博士は上述のような思索の経緯から、後に「西洋と東洋の架け橋」と評されもした。永井氏だけではなく、西洋、東洋思想の理解については河合隼雄氏他多くの方が既に指摘されてきた。
これはどちらかの優劣を問うものであってはならない。どちらか「一つ」を望むことの愚劣は既に挙げた。
私たちはこれまでの歴史の変遷から、西洋思想と東洋思想の各の特性について、正確な理解と偏りのない評価をすべきであり、それをなくして世界が直面する事態に対応することはできない。

 

何者かと対峙する時には、ただ一つの揺るがないものがありさえすれば、と望む心の底にあるものの正体を、注意深く見極めなければならない。或いは、波立つ心を鎮める術について考えねばならない。

 

相手の心について考えるとき、同時に自身の心のあり方を問われている。
相手が歪んで見えるのならば、自身の心が歪んでいるおそれがある。
しかし、自覚した歪みをなくすこともできはしない。何故ならば、私たちは自身の存在の理由を知ることはできないからである。

 

歪みのある人間が歪みのある人間を直そうとすることは、ここに現れた矛盾をみても愚かしいことなのかもしれない。しかし歪みや偏りがあるからこそ動きが生じるのであり、動きの中に生命があるのではないだろうか。

 

相手が自分と全く同化することを望んでいるかと考えてみる。
全てを掌握したいと自身が望んでいるかを考えてみる。
全てが明らかな世界で呼吸することができるかと考えてみる。
それらは全て否ーであるのではないだろうか。

 

せめて相手を相手のまま、自分を自分のまま、それぞれの「道」を重んじ接することができるのであれば、と思う。何故ならば自分が自分であるとは何かという一つのことですら、一生を費やしても答えはないだろうが、それを追求する者であるとの自覚が、他の存在を自身の心の地表に振り分けることに繋がるからである。

 

養老孟司氏は言う、エントロピーの法則に即して言えば、秩序は同時に無秩序を生むと。自分を取り巻く環境に秩序を求めるならば、同時に自身の内に生じる無秩序を、或いは秩序を望む無秩序の存在を、自覚すべきだと言えるのではないだろうか。私たちが取り組むべきは、各が自身の内にある無秩序を取り扱う術を修得することなのではないか。

 

ここに道元の道徳の言説についての興味深い考察を載せる。

彼は説くー 人がある徳を行うのは自ら貴くあらんがためであって、人に賞賛せられんがためではない。悪を恥ずるのもまた自らの卑しさを自ら恥ずるのであって、人に謗られるゆえではない。行為はそれ自身に貴く、あるいは卑しい。人は密室であると衆人の前であるとによって、行為を二三にしてはならない。世人の賞賛すると謗るとは、行為それ自身の価値には何の関係もない。従って人は、「仁ありて人に謗られれば愁ひとすべからず。仁無うして人に讃せられば、是を愁うべし。」「真実内徳なうして人に貴びらるべからず」。道元はとくにこのことを「この国の人」に対していう。この国の人は「真実の内徳」を知らず、外相をもって人を貴ぶ。従って無道心の学人が魔道に引き落とされやすい。たとえば「身を捨てる」という事を顕著にするために、雨にぬれても平気で歩くというごとき奇異な行いをすると、世人は直ちに「貴い人だ、世間に執着しない」と認めてしまう。学人自らも貴い人のごとくに構える。この種の「貴い人」がこの国には多いのである。しかしこれは魔道という他ない。外相は世人と変わらず、ただ内心を調え行く人こそ、真の道心者と呼ばれるべきであろう(日本精神史研究) 

 

 

日本精神史研究 (岩波文庫)

日本精神史研究 (岩波文庫)

 

 

「道」について

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落葉に眼を奪われる。
眼前に落ち掛かってきた一枚の葉に心を奪われたというよりは、その葉の舞う様子に心を奪われたようだった。
その舞う姿が何を想起させたのかと、言葉にしてみる。
移り変わる、ということだろうか。人生を重ねてみたのだろうか。
自身の心に何が生じたのかを語るとき、そこに物語がある。
落葉ではなく自身の心を代弁したものとして、落葉を見ている。
落葉そのものについては説明していない。
何故その時、その落葉は私の前に落ち掛かってきたのか。
そして何故私はその時特に、それに注目したのであろうか。
例えばそれが雨の日で、傘をさし、ぬかるんだ足下に注意を注いでいたならば、私の前に落葉は「存在しなかった」。
快い日差しを受け、微風を愉しみながら歩いていたとしても、別の何事かを考えていたならば、落葉はそこに在ってないような景色の一部であったろう。
また別の道を歩いていたならば、落ち葉が落ち掛かってくることもなかったのかもしれない。

 

「何故」と問うーつまり、因果の因について私たちは知ることができない。

 

「唯一」を説明しようとして言葉を尽くしても、それそのものの周辺を迂遠するのみである。私たちが未知の深淵を覗き込み、その正体を突き止めようとする努力の結果は無に帰する。

 

それでも尚、「唯一」について志向するのは何故なのか。
私たちはその正体を突き止めたいと志向するのではなく、それと正しく対峙することを望んでいるのではないだろうか。

 

問いかけに対する世界からの答こそが、「唯一」を証明する。己に生じる真実を見つめることが「道」をつくる。己はそうした眼前に立ち現れた世界について、その瞬間瞬間に世界と対峙し、その向きと歩を決定する存在であり、過去や未来は後付けに説明されたものである。

 

己の前後に道はない。「道」とはすなわち、己を離れてみたところからの眺めである。このように考えると、「解らない」ーという語意の深淵を思う。全てに矛盾があるーとはその通りであると思う。しかし己にある真実は矛盾をも凌駕する。

 

「解らない」ことを思う時、「私」の存在はないが、実存としてそれを語るところに「唯一」が証明される。

 

このような意味で、主客の双方についての研究は疎かにすることができないばかりか、どちらがより重要であるかについて論じることに意味を見いだすことはできない。

 

どちらに重きを置くかよりも、何故そのような形を呈しているのかについて考えの主眼を置くことが、より真実に近づくのではないだろうか。