鏡花水月

キョウカスイゲツ

籠の鳥を放つ(二)

「持たざる者」

もしも人間が他の動物に劣らない強固な牙や爪を持つのなら、それを手がかりにーそれを本能に据え置いてー生き延びようとしただろう。ところが、人間は何も持たないともいえる状態でこの世界に生まれ落ちる。


「持たざる」ことを嘆き、自身を哀れむところに”諸行無常”の思いが生まれるのか。生きる術のないことを自覚する虚しさが人間の根本にあるとするなら、虚ろな身体の老いるがままに死すという一文に、人生の全てが集約されるのか。

 

河合氏は著書「母性社会日本の病理」の中で、日本人に一般性を持つ「浦島」の物語をとりあげる。「日本書紀」に起点をを持つ「浦島」の話が現在に至るまでの物語の変転に、著者は日本人の心をみるとする。

「永遠の少年(puer aeternus)」である主人公、「他界」の支えとしてのー或いは天地、父母の分離以前の混沌を示すものとしてのー亀、男性の内部に存在する女性像の原型としての「アニマ」である、乙姫の前身であるグレートマザー的な要素の強い亀姫、後の永遠の乙女ー結婚が成立しない女性像ーとしての乙姫、玉手箱が示す意識と無意識の時間感覚の相違、竜宮という「他界(外界)」ー或いは死後の世界ーと現世(内界)の交差、が織りなす物語は、各時代で様々に脚色がなされ、各時代における日本人の本質を如実に示しているとする。

この物語に私は興味を引かれない。主人公が亀との出会いをどう捉えたのか、何故竜宮を目指すのか、欲望を満たすためだけに自身の時間と命を浪費することを是とするのか、玉手箱は人間の尽きない欲をー分を超えて欲を満たそうとする人間の業を描いたのか、そこに自立した男女、自立した人間はいないのか。そうした疑問に対する答えは一切見あたらない。

 

何も持たないー自身を省みる力もなく、自尊心もなければ他者を認めることもできない、判断力もないー無為の人間が欲に溺れ死ぬ。何も持たない人間を大きく包み込むー全てを含有するグレートマザー、母性社会に呑みこまれてしまうのが、日本人の姿であると、この物語は各時代で取り上げられ、語り継がれてきたのか。

 

一元論的な正しさを追求することで生じる終わらない争い、盲信的に科学を推進し、合理化を追求した結果としての原発事故や環境破壊。何も持たずに生まれた人間は、生存のために何かを手にする必要があった。だがその試みの多くは人間が目指したものと反する結果となった。しかし、安易に「だから何もかも手放す」とした姿勢を採用するのは、現在の科学信仰ともいえる、科学の負の側面である、原因ー結果論の枠から一歩も出ていない。

 

このように考えると、「無為」の解釈は難しく、「無為」を自身に内包させ生きる術とはどのようなものかは容易に言い表せないと感じる。

 

母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)

母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)

 

 

河合氏の自伝的小説である「泣き虫ハァちゃん」の終盤には「ガラスの壁」という表現が出てくる。この小説は主人公が小学校4年生を迎えるまでの様々なエピソードで綴られているのだが、わずか10年足らずの歩みの中で少年が直面したのは、時代背景としてあった、社会通念としての帝国主義や”らしさ”、自我を抑制し「場」へ調和することを強要されるという意識であり、「死」との対峙であった。その時代がどのようなものかを把握するにも、言葉による合理化が成人ほどにはできない少年の、剥き出しの素肌のような心と身体で体感した時代の空気の圧力がどのようなものであったかは、同時代に生きるものでなければ真に同調することができないと思う。

 

ハァちゃんは自分だけが一人で、そのまわりにガラスの壁ができたように感じていた。「やっぱり、結局は一人なんや」。ハァちゃんは心のなかでつぶやいた

 

という少年の嘆息は、夏目漱石の小説、「硝子戸の中」を思い起こさせる。以下冒頭文から引用する。

 

 硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、赤い実の結った梅もどきの枝など、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐに眼に着くが、その他にこれと云って数え立てる程のものは殆ど視界に入って来ない。書斎にいる私の眼界は極めて単調でそうして又極めて狭いのである。
 その上私は去年の暮から風邪を引いて殆ど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐っているので、世間の様子はちっとも分からない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 然し私の頭は時々動く。気分も多少は変わる。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起こって来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来る。それが又私に取っては思い掛けない人で、私の思い掛けない事を云ったり為たりする。私は興味に充ちた眼をもってそれ等の人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書き続けて見ようかと思う。私はそうした種類の文字が、忙しい人の眼に、どれ程つまらなく映るだろうかと懸念している。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注いでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を並べて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これ等の人々は、火事や泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大だと思う事件か、若しくは自分の神経を相当に刺激し得る辛辣な記事の外には、新聞を手に取る必要を認めていない位、時間に余裕を有たないのだから。ー彼等は停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日起こった社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならない程忙しいのだから。
 私は今これ程切り詰められた時間しか自由に出来ない人達の軽蔑を冒して書くのである。

 

晩年体調を崩した漱石が書いた小説と、少年河合氏が感じた自身の異質な感じは、「ガラス」という文字の符合を見ずとも同調していると思う。自身が見えないガラスに取り囲まれ、世間と隔絶されたような「無為」の感覚に陥る。自分が何もしなくても世間はそれに構うことなく、時代と共に移ろっていく。そこから歩を進めるために、「結局は自分自身」であるという自覚を持つことと、「世間一般からの軽蔑を冒すこと」を表明することは似通っている。言外に含まれるのは、年齢を問わず「個人としての体験」の重要さではないか。ハァちゃんは10歳になると更に周囲と自身との隔たりを強く意識し混乱する。その混乱が後に教員をしながらも、生徒の心に着眼し心理学者としての道を志す河合氏の、その後の歩みを決定づけているとしても過言ではないように思う。この自伝的小説は著者の死去により10歳の記憶までで止まっている。しかし10歳という年齢が人間発達の中でも最初の大きな変節の時期であることを指摘した著者の筆が表したのは、観点を変えれば著者の人生の歩みの大部分がここに表現されているといっても良い気がする。

 

無為」を考えるにあたり上記を引用したのは、「持つ」ことを個人的体験として十分体感し認識した上でなければ、つまり個人的体験としての「物語」からでなければ、「持たざる」という選択に実存としての意味を付与できないと考えるからである。

 

泣き虫ハァちゃん (新潮文庫)

泣き虫ハァちゃん (新潮文庫)

 

 

 

河合隼雄自伝: 未来への記憶 (新潮文庫)

河合隼雄自伝: 未来への記憶 (新潮文庫)

 

 

硝子戸の中 (新潮文庫)

硝子戸の中 (新潮文庫)

 

 

「持たざる」ことを考えるにあたり、河合氏の自伝からもう一つのエピソードを取り上げる。これは、河合氏が精神分析家としての資格取得のための最終試験でのことである。河合氏は試験の前に、最終試験の試験官が自身の思想とは共感できない人物であることを知る。そこで著者が考えたのは、試験に際し自身の考えを押し通す愚を退け、試験官の傾向に即した答えを準備しー自身にとっては真に納得がいかない回答であってもー穏便に済まそうという算段であった。しかし当日何故か事前学習のノートを忘れた。更に試験官の質問に対し、意図する回答を述べるという選択を退け、敢えて自身の考えを表明し、それに激怒した試験官と河合氏との攻防で会場は大混乱に陥る。河合氏を擁護する他の試験官の助力を得て試験は何とか終えることができたが、落第は免れない状況だった。それでもごまかさずに終えられたという清々しい気持ちを河合氏は持った。後日、河合氏への資格を授与するか否かで資格委員会でも混乱が生じたが、「はるばる日本から来た」という情けも含め条件付けで資格取得が認められることになった。河合氏はそれを聞き、「自分の生き方がある」と主張し資格の受領を拒否する。だがすぐに、受験資格を得るためスイスに渡り、5年以上の歳月を経ての受験であったことと、その間の自身の生活を支援してくれた妻子や、母国に待つ家族等の気持ちを考え思い返し、発言を撤回する手紙を書こうとするが、どうしても信念を曲げられない。最終決定がなされるまで暗澹とした気持ちで過ごしたが、河合氏の予想に反し、委員会は資格の授与を決めた。それらの一連の出来事に対し、欧米人は自身の正当性を盾に資格の受領について主張するであろうが、”資格をいらない”として戦うのは日本人的だということを言われたのが印象的であったと振り返る。

 

このエピソードでの「いらない」という主張は、一見したところでは前述した「負けて勝つ」にも通じるようにも思えるが、そうではない。

 

謹直な著者が、試験前にさほど熱心に事前学習に取り組む気にもならず、当日にノートを忘れ、その身のまま試験に臨んだ時点で何か「自分を超えた大きなもの」からの配慮があるように思える。そしてその場で自身を「ごまかさず」思想を貫いた。尚かつ、その後の委員会の情けを蹴っても自身の生き方を通した。その一連のことがあっての資格取得は、その後の著者の精神分析家として力強い一歩を踏み出すための、忘れ難い通過儀礼となったのである。この「いらない」という主張は、試験官の判断を惑わす意図があったわけでも、自身の優位を暗に確信したからでもなく、「持つ」ことに対し自分自身と正面から向き合い答えを出したかったからではないか。つまり精神分析家としての資格を取得し、専門家としての肩書きを得て後の人生を歩んでいくことに対し、著者自身がまっさらな気持ちで向き合い、自身の根源的な部分にある本意を確かめたかったからではないか。私には、そのように思えたのである。

 

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ここまでで引用したのは主に河合隼雄氏と甲野善紀先生の著書に寄りました。というのも、両氏の著書を最近俄に集中的に読む中で、その思想の素晴らしさを思い、かつリンクする部分が多くあるように思えたことの不思議を、そのまま文章にしてみました。
真に求めている本との出会いは、然るべき時に成されるということを以前どこかで読んだことがあります。ここで、両氏の著作との出会いの妙をここに特に記しておきたかったのだと振り返ります。両氏の思想は余りにも素晴らしく、ここに引用しきれていない部分が多いことを心残りに思いますが、後に機をみて触れていきたいと考えています。

今後同時代を生きる人がどのように歩みを進めたら良いかについて、最後に、甲野善紀先生の著書からの引用を記します。

 

これから先、世の中の制度や価値観がどれほど変わろうとも、変わらぬものは、「肯心自ら許す」という、自分の本当の奥底の心から、「これでいい」と思える”生き方”だけではないだろうか