鏡花水月

キョウカスイゲツ

『零までの道』

「呼ばれる」

 「本には読前・読中・読後の佇まいがある」とは松岡正剛氏の言われた言葉である。偶然手にした一冊の本が、その人に「その時」ーその本に触れることが最も望ましい時期ーであることを告げ、その人の中に他に代替がきかぬものとして認知され、やがてその人の一部となっていく。そうした、例えば認知の変容の過程を捉えた言葉にも聞こえると、興味深く思い心に残った。

 

後年尊敬し止まず、その著者名が自身の中に特別な響きを持つ本との出会いは、自分を形成する一つの拠となる。手に取った本の頁を見開く瞬間は何にも代え難い。初めの頁を繰る時は、いつも澄み切った気持ちになる。


優れた作家の処女作は、後年の著作を貫く題材が盛り込まれているため、別格の扱いになる。その後代表作と呼ばれる多くの著作を執筆されたとしても、処女作に見るある洗練さ、或いは潔さのようなもの、処女作でなければ表現できない部分が必ずある。そうした思いから、手元に届いた本の頁をすぐに繰ることはせず、暫くの間眺め暮らしていた。私の中でその本の、読前の佇まいは何とも形容し難いものだった。

 

 

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「呼ばれる」とは、野口裕之先生から教えて頂いた美しい言葉の一つである。関西の人はお茶を「頂きます」ではなく「呼ばれましょうか」と表現する。呼ばれる、という受動表現にはその受け手の微かな能動も混じる。波一つない鏡面のような水面に垂れた一滴の水の、広がる波紋を静かに眺めている、そんな趣のある言葉である。直面した事象にある畏怖のようなものを感じるとき、それが自身の心にどのような波紋を広げていくのか、その過程を冗長とも思えるくらいに味わっていたいと思う。「呼ばれる」という言葉に真実実が浸透していく過程を見ていたい、私がその本を手にしたタイミングというのは、そうした時期と重なっていた。

 

平素日常の煩わしさの中で、その本と向き合う時間を確保するのが難しいと感じていた。ついには、その処女作の刊行後、著者の主催するイベントへ向かう新幹線の車中で改まって読み始める、ということになった。

 


富士

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予め予約しておいた新幹線の座席は通路側であったので、自然窓側に座る人を待つ形となる。乗り降りがし易くなるよう、隣の空席が埋まるまで荷物をまとめ身構えている。新横浜から現れた婦人はにこやかに、「相方が年寄りでごめんなさいね」と言われた。偶然に隣に乗り合わせただけの人間を「相方」と呼ぶ、その人の心の在り方に共感を覚えた。

 

その人はどことなく祖母に似ていた。丸く黒い瞳を輝かせて、出身や旅の目的を軽やかに語る。鹿児島の人で、普段利用しない新幹線には戸惑いよりも好奇心が勝り、おそらく普段よりも饒舌になっているのではないかと思わせる。言葉を発しなければ、持ち物の趣味からしても淑やかな印象である。車中で摂るために購入した弁当のお握りが大きいことと驚嘆する内も隠そうとしない。身内の様に開け広げな振る舞い方は少女のようだった。

そういえば少女がいなくなった、と不図そう思った。

 

私の母とほぼ同世代のその人は、関西での同窓会に向かうところだと話す。「楽しみよ」。全身から、言葉以上の気持ちが伝わってくる。

普段このようなことはないのだが、その婦人の隣でとても寛いだ気持ちになり、読もうと思っていて読めずにいた本の文面がごく自然に入ってきた。途中うたた寝もするほどに寛いでいたことに(文面が退屈であったわけではなく、肉体的に疲労していた)、自然感謝の念が沸き上がってくる。自然発生した気持ちが「感謝」であるということが、その時を得難いものとし捉えられたために、こうした文章になる。改めて思い返すと不思議な思いがする。

 

その人の瞳の奥に、4頭身くらいの少女の姿が見える。
私が読書に集中している間、その人はものも言わずに窓にかじりつき景色を眺めていた。突然、「富士山よ、綺麗ね」と声に出して言う。

その日は曇りで、一面灰色の空を背景に、一層濃い灰色の円錐が屹立している。頂上の積雪は白く際だつ差し色になっている。

九州から関東までの道のりで、普段は飛行機から富士を見下ろしているのだろう。そこからは円を描く噴火口と、四方に延びる裾野を見るが、浮世絵に見るような、日本人の心にある富士の姿はない。

ただの同系色の二色の濃淡と、一点の白色のみの色分けで描かれたように見える富士は、平面的な印象である。

 

平面に奥行きをみる、それが日本人の好み、あるいは数寄というものかもしれないと、その景色を見ながら思う。立体の荘厳さも、平面の扱い安さに還元する。粋というのはそういうものかもしれないと思う。見えるものと見えざるものを同時に分け隔てなく扱う、それが日本人の好むところなのではないかー。

 

降り掛けに、「良い旅を」と声をかけると「お互いに」と言ってその人は微笑んだ。

 


「数学する身体」

例えばこの本がある小説作品であったとするならば、一章だけで十分であったはずである。数学史を辿る時、その数学を絶やすことなく現代まで押し進めてきた数学者達への敬意の込められた文章は、厳かであるという印象を受ける。あることを示すために導入した表現の一つ一つに対し、適切か否かを検討し推敲を重ねる、時間の長さというよりは濃さが感じられる文章である。おかげで何度も読み返す。小説であるならば、初めの印象がどれほどのものかとはかるために、終わりまで通して読むところであるのに、と何度か思う。

 

数学の源流からある流れをとるまでの道筋は、殊の外丁重に扱われている。何を求め足掻くのか、発問の出所とその答えとなるものは絶えず不明である。問われたところに答えのある気もするが、答えとして提示されたものには、予期せぬシナリオ(新たな発問)までが付与されている。自問自答を繰り返す数学者の歩みは、遠巻きには数学史の大きなうねりに翻弄されているようでもあり、思考の跳躍からは人間が置き去りにされているようにも見えるが、そこに深く踏み込み留まり続けることで、数学者の体温を感じ、声にはらんだ熱気に気づかされる。ここでは森田氏の研究する人物の一人である岡潔に焦点があてられ、3章からの文章は特にー水流を増した河のようにー軽快かつ滑らかに展開されていく。

 

「零から」ではなく「零まで」が大切であるとする森田氏の言葉からは、何が人を作るのか、その原点に向けられた深い眼差しが感じられる。

 

例えばこの本の全体の印象は、ごく微少である水源から大海へ至るまでのある水脈を捉えたもののようでもあるが、大海というのは「遠い未来」、つまり「どこか遠く」にあるものではなく、ごく身近にある、ありふれた、しかし未だに表現し尽くされていない何かを指しているように感じられる。

 

数という抽象かつ無機質の極みであるような、血の通わない記号の操作を経て、人間は人間でない何者かになろうとしているのではない。寧ろそれらを発見し、それらを扱うことで浮かび上がり明らかにされていくのは人間それ自身のはずである。

 

 

数学する身体

数学する身体

 

 

 

「この日の学校」は武術研究家の甲野善紀先生と独立研究者の森田真生氏の講義及び対談形式で展開されていく。思えば未だかつて、武術と数学とがこのように接近したことがあっただろうかと思う。


今回の会場は豊臣家由来の瑞泉寺であり、襖には豊臣家の家紋が散りばめられている。甲野先生は人間の運命の定不定について武術を通し研究されているため、今回も会場に日本刀が翻る。着物を着られた甲野先生の術理も日本刀の閃きも、特に違和感なく感じられる。数学の扱うのは法界であるという森田氏の語りも、このような舞台では自然に了解される。

 

学問の専門性を問う観点からみれば、数学と武術の専門性を明らかにし、尚かつその接合点がどこにあるのかと問う気持ちになるのかも知れない。

 

自然だと思うのは、異なる専門分野の領域を結ぶのも人間であるという、明確な事実が前提にあるからである。学問の専門性を追求するあまり細分化し原点を見失った現在の教育の在り方では、了解することが困難になってしまった単純な事実を、両講師の講話からは素直に受け止めることができるからである。

 

ところで、この催しのコンセプトを全く知らぬ者がその場にいたなら、どのように思うのだろうか。
少し前までは、私がそうだった。
武術も数学も自分とは無関係の、殆ど未知だった。無関係であり、未知と感じたものが、今は自分に近しく感じられる。それはある興味を持った人物が、自身の未知、或いは道を追求する手段として武術や数学を研究していると知ったからである。そこに語られる言葉には何故か深い共感を示すものが多く含まれている。未知のものの中に自身の片鱗を垣間見る思いがする。つまり自分自身は世界に散在している。散在した自身の集合がー世界を映す鏡がー「私」になる。
人間は人間であることを学びつつ存在する。
私は私であることに飽くなき興味を持ち続けている。
人間を、「私」を形作るのは、経年を経た言葉の真実の響きである。
何が私を形作り、何がその人をその人たらしめるのか。
ただ在ることの深さ、ここでは「零までの道」について思いを馳せることは、世界を知り、世界を創ることと同様なのではないか。
森田氏が「数学する身体」のあとがきで、この本の著者は自分だけだという気がしない、と記すところに、少しの違和感もないと感じられるのは、そうしたことからなのではないか。「この日の学校」に於いて改めて、このような思いに至った。

 

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森田氏の処女作「数学する身体」刊行から1か月後に京都で行われた「この日の学校」に至るまでの時間を、特に書き留めておきたかったという思いで前文を置いた。
小説めいた言い方のようでもあるし、露骨な表現を採れば創作であるようにも見える。事実のある部分を現実から抽出したのだと、誰かはそう感じるのかも知れない。
しかし私はそれを実感として記しておきたかった。
それをどう思うのか、そこには個人の理由が存在する。感じ方の是非は別の話である。例えば、「この日の学校」に集まった人それぞれには、どのような背景があるのだろうかと思いつつ書き留めた。きっとそれぞれに語るところがあるのだろうと思っている。

 

自分というものが、自分を越えた大きなものが、それ自身を探求するための一つの仮説であると考えてみる。
自分を通り抜けていった何かがこのような音を奏でた、それが例えば文章であり言葉になるのではないか、そんな気もした。