鏡花水月

キョウカスイゲツ

天上天下(二)

世界の果て

 

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原子爆弾によって私たちが受けた被害のうちでもっとも大きなものは、家を失ったことでもなく、財産を焼かれたことでもなく、多くの血のつながる者や友を殺されたことでもなく、体が不自由になったり、病気になって働けなくなったことでもなく、実にそれは私自身の魂の醜さをまざまざと見せつけられ、また隣の人たちの魂の醜さもはっきりと見たことによる、人間に対する信頼を失ったことであります。

「朝の鐘」(如己堂随筆)ー 永井隆

 

 

如己堂随筆 (アルバ文庫)

如己堂随筆 (アルバ文庫)

 

 

生命の痕跡すらない荒野に立ち竦んでいる。全方位可視下に現状不可避との、忘我の感覚を伴う絶望の静寂が身を取り巻いている。行動、思考を支持する意味の不可逆的な崩壊と、体感的に「生」よりもリアルな必然としての「死」を突きつけられる。意識から世界は遠退き、肉体に迫るのは確実に消滅するという逃れようのない現実である。生命の先に待つのは「死」で、時空間の保障を受けない自己は、光も影をも失う。存在を存続させるために縋れるものは何もない。必ず滅する、それが自己に於ける唯一の現実である。

 

原子爆弾投下後の荒廃した原野ーそれは一つの世界の果てのイメージを提示した。

 

 


教会の天井画には、神々しい神々と天界のイメージが描かれている。ゲーテの言う丸天井ー見上げる者に保障される神のイメージと、神の下に全てを言い尽くされ開示された明らかなる世界。人間の行く末は「神」のみぞ知る。

 

実存は影に裏打ちされている。影に保障された光。人間の定めた必然ーア・ポステリオリなー、丸天井の「下」にある世界から、その「上」に広がる空をーア・プリオリをー思う。

 

 

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人間は、生じるところには何故か無意識である。しかし滅するところには強く意識的で、執着と呼ぶに等しくある。人間が強烈に意識するのは「死」で、それを強く怖れる。だが、そもそもの始まりは、何処にあるのか。

 

ギリシャの医哲学者ヒポクラテスは、落葉が季節とともに落ちるような自然の死の現象をアポプトーシスと呼んだ。アポは「離れる」、プトーシスは「落ちる」という意味だ。
現代の生命科学では、細胞がプログラムによって自然死していく現象、つまりアポプトーシスについての発見が相次いでいる。細胞死を起こさせる遺伝子やそれを阻止する遺伝子、いずれも生命維持に必須であることがわかってきた。
死の遺伝子がなくなると、不死の細胞ができて癌になることや、不必要な細胞を除くことができないため胎児が発育できなくなったり、脳や免疫の異常が起こることもわかってきた。落葉が落ちなければ、来春、若葉も生えることがない。生命が誕生し、生き続けていく裏側には必ず死が存在する。
医学の発達は、さまざまな延命治療法を可能にした。しかしその中には、落葉がポトリと落ちるのを無理に阻止しているようなことも含まれているのではないだろうか。

 

「落葉と生命」(独酌余滴)ー 多田富雄

 

 

独酌余滴 (朝日文庫)

独酌余滴 (朝日文庫)

 

 

 

上下左右、全て人間の決めた必然の、その中にいれば、既に「生じている」私は意識の前提にあり透明になる。死は全ての人間が直面する現実であり、「私」の存在の前提を覆す脅威となるために、意識を集中させその「死」に抗がう。「死」とは何か。そう考えるところに「死」を保障する「生」をも知らぬとの現実が生じる。言語化されないものはこの天蓋の下にはいられない。このようにして生死は現実感を喪失する。

 

子供は物を壊す。扱い方を知らないというのはその十分な説明にはならない。物質の「価値」は、子供の世界にはない。子供は癇癪を起こすから物を壊すというのも、やはりその十分な理由ではない。物に触れ楽しみ、触れた物を手放すこともやはり楽しんでいるように見える。子供の意識は物ではなく自身の体感に集注する。「壊れる」という事態は子供の意図したところー子供の世界ーにはない。触れる物は千差万別であろうが、「壊れた」物がそれ以前の扱いを受けなくなることを知るのは、子供が早期に直面する現実でもある。叩きつけ、踏みにじり、粉砕され散乱したのは、物質の形状であり、既存の価値観である。周囲の人間の動揺や叱責から、子供は「なくなる」ことを知り、自分が意識的にその形状を保たねばならない物が存在することと、自分の意識的操作によりその物質の形状を維持することも変性させることをも可能なことを知る。

 

社会が付与した価値観を重んじることは、推奨され、道を開く。それに反する行為は道を閉ざす。価値観を創る者は絶対者であり、世界を動かすことができる。価値を揺るがす者は退けねばならない。絶対者の保障を拒む者は、その統治下には置けない。人間社会という結界の内側に生息範囲を限定するならば、その範囲が生命の限界となる必然が生じる。この社会を守らねばならないーその言葉が示すものは、言語として置き換え可能な物質と、それに付与された価値に絶対を置くとの倫理と、動かない「過去」に裏打ちされた時間を「現実」とする、人間による人間の規定である。このー限定された社会だけが現実だとする人間のー生命を存続させるためには、「範囲」を弁えない者を除外せねばならない。「戦争」もその「大義」ーラベルを貼られることに従順な人間を守ることーが保障する。


人間の死を保障するのは人間の大義、つまり死ぬ理由である。人間はその限定的な世界観の中に生き延びようとし、逆説的に死を引き寄せる。自己完結という近づくほどに遠くなる「絶対」が価値を付与する仮想現実の中で、自らの生命の価値を、「個人」を排除する社会の規定に委ね、生命の実感もないままに、永遠を叫び続けるーそれが都市社会に於ける死の様相である。

 

人間の体を構成するすべての細胞には、一つの核と三十ないし五十個のミトコンドリアが含まれているが、それらはもともと別の種の生物に由来したものが「共生」しているのである。私たちの体そのものが、二種類の生物の「共生」によって作り出されたものだったのである。二種類の生物が「共生」したことで、生物は有効にエネルギーを利用して生命活動を円滑に行い、次々に遺伝情報を蓄積して進化し、ついには人間のようなスグレ物まで作り出した。薄気味悪いことに、人間はもともと二種類の異なった生命体が「共生」して作り出した産物だったのだ。(中略)
二十一世紀のキーワードとして「共生」というとき、そこに本当に「共死」の覚悟まで含まれているかどうかを自問する必要があると思う。そうでなければ、「共生」は単なるお題目になってしまう。
過疎のため山林の手入れができなくなると、森林が死んでいく。森林が死ぬと人間も生きてゆけない、という形での「共死」現象が各地で起こっている。情報をため込んだ人間という核に相当する存在と、酸素を利用してエネルギー代謝に関わってきたミトコンドリアのような森とは、「共生」と同時に「共死」の関係にあったのだ。
地球環境、政治、経済、都市、国際社会など、さまざまな領域で「共生」が合い言葉のように使われるとき、同時にそこに「共死」の覚悟が求められていることを確認しなければなるまい。その覚悟を持った上で「共生」の夢を描かねば空論になるであろう。

 

共生と共死」(独酌余滴)

 

「永遠」は過ぎた時間の捉え方にある。美しく動かない過去に命はない。意識は過去を美化し、そこに留まることを妄想するが、はみ出した身体は唐突に消滅する。命の源は言葉のないところにある。命には形はない。形が生じるのは、自然の意図であり、人間の意識の中にはない。自然との同調の中に命があり、形が生じるのではないか。

 

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心が「動かされる」ーという表現は何を指すのか。心を動かしたとは言わないのは何故か。意識ー脳の機能ー心ーに「動くという感覚が生じた」ことを、そのように表現するのではないか。感覚が動くから、感動があるのではないか。私たちは善とされるものにも、悪とされるものにも、感動を覚えることがある。その時、善悪の規定からはみ出た命が見え隠れする。それをそのまま扱えたらと、願う心は意識の目に曇らされる。肝心なのは、現れたものに何らかの価値を置くことではなく、その行方を見届けることではないだろうか。

 

現代の多くの人間は、生き延びようとして死に急いでいるようにしか見えない。生きることに強く執着するほどに、強く死を望んでいるようにしか見えない。命は、社会にはない。その現れの中にあり、それは個人の感覚世界にある。生命の生じた理由を知ることは、人間の意識の範疇を超える。それを何故そのまま扱えないのだろうか。


人間の定めた空の下では、個人はただの記号操作に身を従えるのが、その限定された世界の望ましい振る舞いー作法である。その作法ー常識ー倫理ーが個人に形を与える。「私」は与えられたものである。確かにそうなのだが、その前提が間違っている。「私」は社会から与えられた存在ではない。それに先んじてある生命の発露である。

 

なぜ日本人は、西洋人と違って「老い」の美と価値を発見し、それを最高の芸術にまで高めることができたのであろうか。それは、日本人が時間というものを単に過ぎ去っていく物理現象としてとらえたのではなくて、時の流れによって積み重なっていく自然の記憶のようなものを発見したからではないだろうか。蓄積された時間の記憶に人間の一生を重ね合わせ、老いの姿にあらゆる喜怒哀楽の結実を眺めたからではないだろうか。

 

「日本の伝統」(独酌余滴)

 

・・・・・

 

祖母の死後、私は直ちに祖母の記憶を忘れることにした。
祖母は自身の要望を述べたことは一度もなかった。私たちに迷惑をかけたことがなかった。祖母の生命は何を語っていたのだろうか。戦後世代から見て、祖母は一生をかけて苦しみぬいて死んだ。晩年は希望すら捨ててしまったのかもしれない。それが祖母から言葉を奪ったのだ。

 

静かに微笑む残像だけを残して祖母は亡くなった。去り際にも言葉はなかった。苦しみぬいた生命の記憶を、祖母は手放して自由になって欲しい。そのためには現世にいる私がいつまでも祖母を「忘れず」にいて悲しみ続けることは、祖母を苦しみの渦中に引き留めることだーと何故かそのように私は考えたのだった。

 

抑圧された感情は却って先鋭化されその出口を求める。私は長い間フラッシュバックに苦しんだ。

 

混乱の中で、偶然にある人に出会った。彼女は言う、私も最近父を亡くしたけれど、悲しくはない。何故なら「ここに居るのよ、今も」。そう言って背後を示すのだった。爽やかに笑う彼女の背後に、彼女によく似た初老の男性が、初めまして、とも言うように控えめに佇んでいるような気がした。彼女は私を慰めるためにその話を創作したのであったなら、私の心は動かなかっただろう。故人と共に居るという実感を込めて私に語ってくれたことは、涙として身体に表現された。私を苦しみから解放してくれたのは、そうした人間の実感であった。

 

先人たちが私に教えてくれたことは、「実」ーであった。ここでこの話は冒頭に戻る。